Mar 10, 2009 10:15
15 yrs ago
English term
as in Stations of the Cross
English to Japanese
Art/Literary
Poetry & Literature
「in Stations of the Cross」の表現でおたずねしたことがあります。辞書では、「十字架の道行きの留」と聖書の中での訳が出ています。英語では、refers to the depiction of the final hours (or Passion) of Jesus, and the devotion commemorating the Passion. これを、仏教の言葉という意味でなく、日常使用する日本語の表現に当てはまるものはないかと探しているところです、何かいい表現はないでしょうか?宜しくおねがいします。
例;
The idea was that there would be no preparation, nobody would have a particular project in mind. We spent the first day discussing how to put together a series of "stations, as in Stations of the Cross.
例;
The idea was that there would be no preparation, nobody would have a particular project in mind. We spent the first day discussing how to put together a series of "stations, as in Stations of the Cross.
Proposed translations
(Japanese)
1 -1 | モニュメントとして | cinefil |
4 | しなくてはならないことを順序立ててする(行う) | Yasutomo Kanazawa |
3 | 受難への道程 | Shimac |
1 | 「東海道五十三次」のように | Krzysztof Łesyk |
Proposed translations
-1
1 day 3 hrs
Selected
モニュメントとして
意訳です。
series of stationsのstationは、作品としてのインスタレーションのようですね。
series of stationsのstationは、作品としてのインスタレーションのようですね。
Peer comment(s):
disagree |
Krzysztof Łesyk
: 恐れ入りますが、間違いのでは?「モニュメント」とは、記念建造物、記念塔などを言いますが、ここの"station"は、「立ち止まって、見る/何かをする」という意味だと思います。しかも、「モニュメントとして」にすると、"series of"は完全になくなるため、1個のインスタレーションと勘違いされます。
9 hrs
|
モニュメントとしてseries of stationを扱うと、考えましたが無理が有るかなあ。
|
4 KudoZ points awarded for this answer.
Comment: "thanks, for the good point!"
1 hr
しなくてはならないことを順序立ててする(行う)
上記の英文から察すると、 "stations, as in Stations of the Crossは比喩で使用されているわけですよね。Wikipediaの十字架の道行きという項目を見ると、以下のように記述されています:
カトリック教会で行われる儀式で、中世末期から行われてきた。キリストのまねびの一形態ともいえる。イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すためにカトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。最後の15番目場面の復活は祭壇側に向かって祈る。ただし、四旬節中は、14番目までの祈りが奉げられる。特に四旬節は毎週金曜日に行われるのが一般的である。
つまり、1番目からから15番目まであることを順序に従って行う、ということだと思います。したがって、英語の原文では最初は用意も何もしていなくて、どう事を進めたらいいのか誰も全く考えていなかった。まるでパズルのピースを合わせてゆくように(ちょっと意訳ですが)、最初の日はすべきことをどういう順番で行う(まとめるか)について話し合ったという訳になると思います。
結果、上記の訳でどうでしょうか?
カトリック教会で行われる儀式で、中世末期から行われてきた。キリストのまねびの一形態ともいえる。イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すためにカトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。最後の15番目場面の復活は祭壇側に向かって祈る。ただし、四旬節中は、14番目までの祈りが奉げられる。特に四旬節は毎週金曜日に行われるのが一般的である。
つまり、1番目からから15番目まであることを順序に従って行う、ということだと思います。したがって、英語の原文では最初は用意も何もしていなくて、どう事を進めたらいいのか誰も全く考えていなかった。まるでパズルのピースを合わせてゆくように(ちょっと意訳ですが)、最初の日はすべきことをどういう順番で行う(まとめるか)について話し合ったという訳になると思います。
結果、上記の訳でどうでしょうか?
Note from asker:
hi, i reconsider it and actually this is the best answer! thank you. |
2 hrs
受難への道程
原文はこちらですか?
http://209.85.129.132/search?q=cache:OVyOVv1nDNAJ:findarticl...
アート作品の展示としての "station" ということみたいですね。「留」のように各所に配置していくということでしょうか。
http://209.85.129.132/search?q=cache:OVyOVv1nDNAJ:findarticl...
アート作品の展示としての "station" ということみたいですね。「留」のように各所に配置していくということでしょうか。
19 hrs
「東海道五十三次」のように
どのような文脈でその言葉が使われるか把握していないので自信はありませんが、もしかして"of the cross"の部分より、"stations"という部分のほうが重視されるのではないかと。
つまり、欧米では、カトリック教の影響で、「順番に見る/行う」のは"stations of the cross"を連想させますけど、特に苦しみ、試練という意味がこもっていなければ、日本人には"sereies of stations"を連想させるには、北斎の「東海道五十三次」などを使えないかなぁと思いました。
文脈にまったく合わないことも考えられますが、意訳を超えた「イメージ訳」を提案します。
つまり、欧米では、カトリック教の影響で、「順番に見る/行う」のは"stations of the cross"を連想させますけど、特に苦しみ、試練という意味がこもっていなければ、日本人には"sereies of stations"を連想させるには、北斎の「東海道五十三次」などを使えないかなぁと思いました。
文脈にまったく合わないことも考えられますが、意訳を超えた「イメージ訳」を提案します。
Discussion